◇グラソフ2010最終戦

『グランドソフトボール2010ジャパンリーグ』(第7節大阪大会)
2010年11月21日(日)  大阪府八尾市久宝寺緑地陸上競技場 
【大会結果】 大阪府0-8三重県(第6戦) 大阪セイガンズ5-2三重県(第7戦)
【年間成績】 第4位(4勝2敗1分) 三重県チーム ジャパンリーグ3連覇ならず!
【個人記録】 5打数3安打1四球(0.6) 守備機会0
 
三重県チームがジャパンリーグに参戦している主たる目的は、実戦練習の機会を
増やすためである。ジャパンリーグは名称こそ大であるが、内容的には健常者や
助っ人など連合チームOKのレクリエーション大会といっても過言ではあるまい。
全国大会予選のようなステイタスがない大会では、真剣さも低下してしまうのが
我々の弱さだと思うが、出場すると決めた以上は本気で臨まないと勿体ない。
試合ごとにテーマを決め事後評価を行ない、次に繋げるべきではないだろうか!?
 
※2010シーズン戦績(ミスターH:1番センター 3番セカンド 9番キャッチャー)
41打席37打数26安打4四球(三塁打2二塁打6) 打率7割2厘(出塁7割3分)
守備機会10(刺殺7補殺3失策0) 守備率10割  2塁コーチャー(誘導ミス2)
今季の個人的なトピックNo.1は、10周年大会での福岡県との初対戦であった。
 
■全日本グランドソフトボール連盟会報(第5号 11月13日発行)
台湾へのグラソフ普及事業の遅い報告など突っ込みどころ満載の会報である。
 
■ふれ愛ぴっく大阪クラブ会報(モッピーだより 第22号)
相変わらずチーム代表者と投手と本塁打のみを重視した自己満足目線が痛い。
 
■国際障害者スポーツ写真連絡協議会(2010ゆめ半島千葉大会グラソフ決勝戦)
ソルトレーク2002パラリンピックの現地取材によりパラフォトの存在を知った。
 
【画像】 JL競技会場(久宝寺緑地陸上競技場)
 
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10神無月の行事

【10月の歳時記】
月名:神無月 誕生石:オパール 家事:衣替え 夏家具の仕舞い
毎年10月は行事が多いので特筆事項を一括報告形式で上げます。
 
『(特)日本障害者スキー連盟 平成22年度総会』
10月3日(日) 東京都 全国障害者総合福祉センター(戸山サンライズ)
 3年ぶりに出席して、SAJD4団体の統合とソチ2014パラリンピックへ
向けたブラインドスキーの強化体制に関する提言を述べた。
今季より、全日本アルペンチームの監督に白馬の丸山寿一氏が就任
することになり、オリンピック元日本代表の丸山新監督と初対面の
挨拶を交わした。(10SAJD強化指定選手:アルペンスキー7名)
会議が終わってから、東京のアスリート仲間であるY選手と15年ぶりに
再会した。シドニー2000パラリンピックなどの金メダリストである彼と、
高田馬場で夕飯を食いながら野郎の苦悩などをクールに語り合った。
 
『第33回中日本グランドソフトボール大会』
10月10日(日) 三重県津市 三重県身体障害者総合福祉センター
出場チーム:関東(3チーム) 東海(3チーム) 近畿(3チーム)
中日本大会&パールカップは天候不良により中止となった(残念)
 
『名張市体育健康フェスタ2010』
10月11日(祝) 三重県名張市 夏見運動公園名張市体育館
今年度も(社)三重県鍼灸マッサージ師会名張支部のブースは、
健康相談と鍼灸マッサージの無料体験を担当した。
5時間で160名以上の来場者があり大盛況であった。 
 
10月16~19日(火) 三重県名張市 ホテルルートイン名張
三田の両親が、家族会議のため数年ぶりに名張市を訪れた。
家族会議は気が重い内容だったが一応の収まりがついた(溜息)
ススキの名所である曽爾高原は、奈良県曽爾村にあるがウチから
車で30分ほどの近場なので、初めて秋の風情を楽しみに行った。
 
『名張市スキークラブ 2010年度総会』
10月23日(土) 三重県名張市 フレンチクォーターラブ
バンクーバー2010パラリンピックで5位入賞した佐藤選手の大会報告と、
彼に対する今までの支援への御礼を、議事の最後に述べた。
三重県障害者スキー教室の受講生である松阪のポチ(30歳♀ 弱視)が
スノーメイト名張に入会し、当分は私が彼女のガイドをすることになった。
 
『名張皇學館大學 皇名祭2010』
10月23~24日(日) 三重県名張市 皇學館大學社会福祉学部 
日時:2010年10月23日(土)~24日(日) 10時~17時
場所:名張市春日丘7番町 皇學館大學社会福祉学部(2102教室)
出展:鍼灸マッサージ治療の初体験(無料) 視覚障害支援機器の展示
主催:(社)三重県鍼灸マッサージ師会有志 三重県立盲学校理療科
皇學館大學名張学舎の最後となる大学祭に外部出展の協力をした。
出展目的である「青年に向けた東洋伝統医療と視覚障害への啓発」に
ついては、200名近くの来場者があり、若者に対する種蒔きとしての
活動意義は、決して小さいものではなかったと感じている(^o^)b
 
【画像】 スキー連盟の幹部たち ススキの曽爾高原 皇名祭外部出展
  
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◇全日本選手権2010

『第11回全日本グランドソフトボール選手権大会』
2010年9月18~20日 愛知県一宮市一宮総合運動場
 
【大会成績】 優勝:徳島県  2位:香川県  3位:愛知県
         4位:滋賀県  5位:三重県  6位:東京閏人
         7位:中国選抜  8位:札幌市  9位:千葉県
【球団成績】 予選リーグ戦:千葉県2-13三重県  徳島県5-3三重県
         決勝リーグ戦:滋賀県4-1三重県  東京閏人5-5三重県
【個人成績】 1番センター キャッチャー(徳島戦)
         8打数6安打1四球(三塁打1 二塁打1):打率7割5分
         守備機会3(刺殺3 補殺0 失策0):守備率10割
 
◆特記事項◇ 徳島県チーム☆☆☆☆全日本選手権4連覇(新記録)
1.大会前日の代表者会議と開会式に、監督代理として初めて出席した。
 「全日本選手権=日本一決定戦とするために、ブロックの1位チームが勢揃い
 できるような大会を目指して今後も努力を続けていこう!」という意見を述べた。
2.全国大会初出場の千葉県チームと、大会初戦で初対戦することができた。
3.徳島県との18年間に及ぶ対戦履歴の中では、最も勝利の女神に接近した
 感覚が残る惜敗となった。(驚異の通算成績:18戦0勝15敗3分)
4.大会2日目の夜に徳島県の宿舎を訪れて、グラバカ談義に花を咲かせた。
5.滋賀県のN三塁手(同期生)とは、近畿ブロック時代のライバル対戦ができた。
6.東京閏人のN右翼手とは初の師弟対戦が実現した。(発勁打法は見えたか?)
7.順位決定戦では朝から打撃感覚が微妙に狂っており、更にホームベース手前で
 ボールが跳ねるのに苦しんだ。滋賀県と閏人の試合では、無死満塁の絶好機に
 打席が回ってきたが、共に内野ゴロで全盲ランナーをアウトにしてしまった(大喝)。
8.我がチームは、相変わらず国体以外はベストメンバーが揃わないという弱点が
 あり、個々の事情は許容するとしても動員を含めた総合力の強化が課題である。
 
■画像■ 代表者会議(初出席) 選手宣誓(千葉県のN選手) 大会結果
 
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◇10周年記念大会

『(特)ふれ愛ぴっく大阪クラブ10周年記念グランドソフトボール大会』
 2010年9月11日(土)~12日(日)
天王寺東映ホテル(記念式典)  久宝寺緑地陸上競技場(競技会場)
 
【出場球団】福岡県(09国体優勝)  徳島県(09全日本選手権優勝)
        三重県(09ジャパンリーグ1位)  京都府(10国体近畿地区代表)
        大阪市(開催地代表)  ジャパンリーグ選抜チーム(男前♂軍団)
【大会成績】優勝:徳島県  2位:三重県  3位:福岡県  JL選抜チーム
【三重成績】1回戦:京都府6-10 準決勝:福岡県3-4 決勝戦:徳島県3-2
【個人成績】1番センター(キャッチャー) 6打数5安打1四球(二塁打2) 0.83
        守備機会3(刺殺1 補殺2 失策0) 1.00
 
(特)ふれ愛ぴっく大阪クラブは、1997大阪国体のグランドソフトボール競技に
携わった審判員と記録員が中心となり、グラソフの競技発展に寄与する目的で
2000年に設立された競技支援活動団体である。
設立10周年の記念イベントとして、全国大会レベルの優勝チームなどを招いて
最強チーム決定戦ドリームマッチが開催されることになった。
日本一決定戦に関しては様々な意見もあると思うが、今回の事業はグラソフを
活性化させるための新たな可能性を提示する大会であったと言えるだろう。
試合内容については、いつも自分の記憶が定かでないため、自軍中心の印象に
残った場面だけの記述になることをご容赦いただきたい。
 
昨年に本大会の事業計画案が発表されてから、個人的には福岡県チームとの
初対戦を最高の楽しみにしてきたといっても過言ではない。
三重県チームは原則的に純血主義なので、助っ人によるチーム補強はほとんど
行わないのだが、今回は監督とレギュラー3名が欠場するため、学生や社会人
OBを入れたギリギリのチーム編成で臨んだ。
正直なところ大会優勝などは全く狙っておらず、現有勢力で可能な限りの最善を
尽くして、主催者と対戦球友に失礼がないような試合にしたいとだけ望んでいた。
 
初戦の京都府チームは、出場球団の中で唯一の国体代表であり、先日も津市で
合同練習を行なった互いに勝手知ったる相手である。
千葉国体での躍進を応援する意味においても、低い壁にだけはなってはならぬ
との強い気持ちで立ち向かった。(G監督の本塁打をライン上でハンドキャッチ)
 
準決勝の福岡県チームは、お互いが国体の出場権を獲得しなければ対戦する
機会がないため、3年越しの想いが叶ったぞと最大級の意気込みで挑んだ。
日本一の福岡県の強さは何度も目にしているので、無理にでも選手として出場
した上での、結果を超えた記憶に刻まれる真剣勝負だけを切望していた。
一発勝負の拮抗した勝敗は時の運であり、勝利への執念というよりは好敵手に
対する本気が、1点差を争う熱戦となって現れたことだけは間違いない!!
 
決勝戦の徳島県は、強力なメンバーを加えており、勝機のない試合を覚悟した。
序盤に3点先行され大敗の予感がしたため、私がセンターからキャッチャーに
代わり、守備固めというよりは最終手段の心理攻撃に打って出ることにした。
その後はH投手の四球がなくなり、強力打線の三遊ゴロを誘発して、結果的に
作戦は功を奏したと思われる。次の回、二死から自分が出塁すると熱中症で
ベンチに下がっていたK主将に打席を任せた・・・福岡県戦と同様の天晴れな
二点本塁打で1点差に詰め寄ることができた。(観戦者が少なく寂しかったが)
 
この暑い熱い大会を回顧すると、久しぶりに3試合フル出場することになったが、
気力と鎮痛剤で何とか全力完遂することができたことをまず神に感謝したい。
今回も万年2位の座を更新することはできなかったが、古豪と呼ばれた過去の
チームの意地を見せることができたかな!? 初めて、試合直後から三重県
キラーである徳島県チームの選手とクールに会話をすることもできたしな。
また、会心の打撃とは認められないが、2人の超一級投手との対戦を考えれば、
一応80点の自己評価をしておきたい。(守備と走塁は★★★★☆)
 
一度きりのメモリアルな大会なので、いつも以上の長文になってしまったが、
主催者各位と最後までお付き合い頂いた皆様には深謝しています m(_ _)m
 
【画像】 連盟O会長挨拶  準決勝の福岡県戦  熱戦の足跡たち
  
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葉月の出来事

◎残暑お見舞い申し上げます m(_ _)m
8月は大きな出来事が少なかったので一括の月次日記を上げます。
 
8月1日(日) 三重県身障センター 「ジャパンリーグ第5節」
前回のグラソフ大会日記を参照してください。
 
8月5~10日 沖縄県那覇市 「美ら島沖縄2010高校総体」
三重県立名張高等学校の新体操部がインターハイに初出場した。
娘Mも1年生ながら団体競技の選手として派遣されることになった。
結果は47都道府県中43位だったが、来年につながる貴重な経験を
積むことができたと思うので、応援する親としても深く感謝をしたい。
 
8月7~11日 「夏休み(夏季休診)」
今年は早めにお盆休みを取り、大阪~奈良~三重などで盆正恒例の
旧友同級会を行なった。(内容は秘密♪) 悪友Mが2度目の結婚・・・
フジモン&ユッキーナと同じ17歳という年の差で子づくりもするそうな。
 
8月22日(日) 三重県立盲学校 「グラソフ合同練習」
千葉国体の近畿ブロック代表である京都府チームと合同練習を行ない、
残暑厳しき中で秋の陣に向けた大人数でのトレーニングに熱中できた。
試合形式の実戦練習を2回行い(僅差の1勝1敗)、自分は久しぶりに
セカンドを守った。(3打数3安打 三塁打1二塁打2 失策0)
練習後に津駅前の居酒屋が開店するのを待って納涼懇親会を行ない、
私が近畿地区(奈良県チーム所属)にいた頃の昔話等に花が咲いた。
 
8月24日(火) 愛知県一宮市 「サポーターKのご尊父様告別式」
三重県障害者スキー協会の事務局長であり三重県グランドソフトボール協会の
コーチャーであるサポーターKの御父様の葬儀に、MSAD代表として参列した。
グラソフ三重県チームと名張市スキークラブの弔意も一緒に委託していただき、
サポーターKさんは親族代表の挨拶を情感込めて務め上げておられました。
葬儀終了後に、一宮の業友A先生と数年ぶりに会食することができ、彼自慢の
黒のベンツで名古屋駅まで送ってもらった・・・喪服姿が893に見えたかも!?
 
【画像】 インターハイ記念  黄昏の熊野灘  喪服と黒の外車
     
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◇真夏のリーグ戦

『グランドソフトボール2010ジャパンリーグ』(第5節三重大会)
平成22年8月1日(日)  三重県身体障害者総合福祉センター
 
試合結果:大阪市3-3三重県 サーカスカラーズ0-2三重県
球団戦績:3勝1敗1分(Jリーグ戦2010シーズン通算成績)
個人記録:4打数3安打(3番センター) 二塁コーチャー(CC戦)
 
〈2週間遅れの日記;〉 猛暑の下で熱い接戦が展開された!!
今回は選手が足りなかったので自分も先発出場することになった。
打順3番は久しぶりだが、長打を狙わず99%センター返しという
自分のプレースタイルは変えなかった(初球入魂)。
走攻守の自己採点は80点・・・大阪市戦の最終回2死一二塁で、
レフトゴロを打ってしまいM左翼手に好捕されたので減点20。
 
Cカラーズのニシとユ~マは、あまり私のプレーを見たことがないと
聞いていたので、若手の手本になるよう気合を入れて試合に臨んだ。
もう二度とチャンスはないかもしれないし、外野の守備・センター返し・
ベースランニングなど、闘志と技術を見せることができただろうか?
試合後、彼らに感想を求めたところ「ウォーミングアップをやっていた
ので見れませんでした(汗)」・・・罰として俵の公開行水じゃ(怒)!
 
しかしだ・・・夏季の超快楽行事である「グラウンド行水」は水道栓の
故障で延期となり、行水会一同のショックは筆舌に尽くし難し(涙)。
翌日、身障センターの担当者に水道栓の早期修理を要望したのは
言うまでもない(10月10日の中日本大会まで待っとってね^^)。
 
【特記事項】 ◎アッパレ!? ×カツ!?
◎大阪市のスーパー全盲M選手は野手・投手・打者としても、福岡県の
N三塁手と遜色のない完成度の高いプレーを披露した(天晴れ)。
◎秋田国体を想起させる三重県の最終回の追い込みを切り抜け、Hを
レフトゴロに仕留めた大阪市のベテランI投手の巧みな配球(天晴れ)。
◎CCのU投手の速球を本塁打にした三重県のK主将の一撃(天晴れ)。
△サーカスカラーズの面白打線を完封した三重県の3投手(一歩前進)。
×不覚にも熱中症で行水のことしか頭になかったCCのN遊撃手(喝)。
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▽近畿は一つ!?

『近畿青年洋上大学OB団体連合会2010総会』
2010年7月24日(土) 兵庫県民会館7F青少年交流プラザ
幹事県:兵庫県青年洋上大学同窓会
 
近畿青年洋上大学とは、「近畿は一つ」をテーマに近畿の青年が大型客船で
中国と韓国を訪問し、船上活動や国際交流などを通じて、明日の近畿を担う
人材を育成することを目的とした、近畿2府4県+福井県・三重県・徳島県の
行政部局が共同開催する青年海外派遣事業である。(2003年に事業終了)
近畿青年洋上大学OB団体連合会(洋大ネットワーク)は、洋大の卒業生が
所属する9府県の同窓会やOB団体が、洋大事業支援や青年育成活動を
協力推進するための総合組織である。(21年の歴史と1万2千人の会員)
 
毎年夏季に開催されていた洋大連合会総会は、2006年度の幹事県である
兵庫県の事情により放置されていたが、4年ぶりに全県の代表者が集った。
重要な議事である洋大連合会の存続について長時間の討議が行なわれた。
【決議事項】現状に見合った内容に規約を改正する(次回の総会で議決する)。
年会費を廃止(活動毎に経費徴収)※残金は9府県OB団体に均等還付する。
幹事県の持ち回りを廃止(各府県から世話人として幹事を1名選出して運営)。
全洋大生の同窓会として情報集約と会員親睦の総合窓口を主幹事業とする。
 
自分は、洋大卒業生1万2千人の中で最も長く事後活動に携わってきたと思う。
もう4半世紀になるか・・・今年度で洋大連合会顧問を辞任することに決めた。
洋大の熱い夏は一生の宝物だが、洋大精神の衰退は無念の一言である!
 
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▼杉山検校400年祭

『鍼聖!杉山和一総検校生誕400年祭』
2010年7月22日(木) ホテルグリーンパーク津
主催:鍼聖杉山総検校頌徳会
後援:(社)三重県鍼灸マッサージ師会 (福)三重県視覚障害者協会
 
杉山総検校の生誕地で、記念式典と祝賀会が盛大に開催され、
講談(演目「杉山検校」 四代目 宝井琴調)などが花を添えた。
 
【惣検校 杉山和一】
1610年、伊勢安濃津に藤堂藩士の嫡男として生まれる。
18歳で江戸に出て多くの苦難を乗り越え、「管鍼術」の発明や
鍼治学問所の開設などの功績を残し、将軍の奥医師として
盲人の最高位である惣検校に任ぜられる。
1694年5月20日、84歳で天寿を全うし安らかに生涯を閉じた。
 
 
先日ニュースで、三重大病院に鍼灸外来が開設されるという報道があった。
その担当者である鈴鹿医療科学大学の鍼灸学部長の佐々木和郎先生が
来賓としてお見えになっており、直接お話ができる絶好の機会を得た。
国立大学病院の鍼灸外来を新時代の職場として、長年の臨床経験がある
三重県鍼灸マッサージ師会の鍼灸師たちにも、協働させて頂けるように
お願いをしてみた。佐々木先生からは前向きに検討するとの回答あり。
三重大病院に鍼灸外来 がん苦痛緩和など期待(読売新聞7月14日) 
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=28009
 
 
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明日は誰にも約束されていない

40代最後の誕生日を無事(?)迎えられたことに感謝している!
 
20世紀最後の年に、大和の国から伊賀の国へ移住して早10年が経過した。
学園山手治療院も三重県障害者スキー協会もグラソフの三重県チームも、
自分にとっては全てが10周年という記念すべき節目を迎えたことになる。
 
人生第3期のピークを50歳に設定しているので、今日からは気合を入れ直し
充電+助走としての意義を込めた365日を進めていく所存である。
今年もバースデーメッセージを届けてくれた友人諸兄には深謝いたします。
 
『最後だと分かっていたなら・・・』 有名な動画ですが今宵の気分やな♪
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◇90分一本勝負

2010年度「第3回志摩市人権講座」
2010年7月2日(金) 志摩市阿児アリーナ
主催:志摩市教育委員会生涯学習人権教育課
講師:元パラリンピック日本代表 兵後正剛
演題:『ブラインドアスリート世界再挑戦への道』
 
【序 章】講師の紹介(司会者)
【第1章】ソルトレーク2002パラリンピックへの道程(ビデオ上映)
【第2章】雪なし三重県の弱視スキーヤーが40歳で世界に挑戦した話
【第3章】失ったものを数えるな 残されたものを最大限に生かせ!
【第4章】障害者の人権問題について皆で一緒に考えてみよう
【終 章】質疑応答(司会者)
 
花園大學時代の先輩からの依頼で久々に講師を務めることになった。
受講者は一般市民ということなので、障害者スポーツを通じて障害者の
人権問題を分かりやすく表現することが少し難題であった。
ソルトレークパラの顛末までは知っている人も多いと思うので、その後
トリノパラまでの4年間の前例なき戦いについて主に語ることにした。
今回も原稿は作成せずに全てアドリブで90分間の講演を行なったが、
ひと時を共にした方々の心に共鳴するものが残ったなら幸甚である。
 選手を引退した競技者の事後活動として、8年程前から自分の経験を
地元と次世代に伝達する活動を続けている・・・生涯スポーツによる
ユニバーサルハートの覚醒運動に今日も微力を尽くしたい!
 
【画像】 人権講座開始  受講者への意識調査  熱~く語るミスターH
  
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