競技者の卒業後は?→サポートスキーの勧め!
昨シーズンに現役選手を引退したばかりだが、ハンディスキーの選手発掘やジュニアの育成に
目標を切り替えて早速活動を再開した。自分はまだまだ滑れるという思いは強いが、どこかで
未練を断ち切り立場を変えてしまわなければ、よくある中途半端な生き様になりかねない。
今までにも、競技を続けながら指導やサポートに手を出していた者を何人か見てきたが、
そのほとんどは中途半端な立ち回りとなり、かえって迷惑をかける結果に終わっていた。
また、大部分の代表選手は自分が表舞台から降りると同時に、お世話になった所属協会からも
離れてしまうので、貴重な経験を生かして後進の指導や裏方に回るといった先例も少ないのだ。
確かに、日本代表ともなれば長年の疲労蓄積や時間・金銭・家族・仕事など、相当に犠牲を
払っていることも解っているが、少なくとも自分はそれを理由に使命を放棄したくはない。
次なる目標の選択肢として、生涯スキーにおけるサポートスキーの存在意義は大であろう。
「第31回名張市青少年スキー教室」が、2.9~12.(祝)に飛騨流葉SAで開催された。
このスキー教室は、市民への生涯体育スキーの普及とスキーを通じての青少年育成を目的
としており、2日間の班別講習と最終日のバッジテスト及び交流会が主な活動内容である。
今回は63名という大所帯で、ほとんどがジュニアだったため非常に賑やかなツアーとなった。
2月の連休はシーズンで最も混雑する期間なのだが、近年は雪不足とスキー離れによりリフト
待ちや食堂の行列もなく、生涯スキーヤーにとっては恵まれた環境になったと言えるだろう。
私は先月に引き続いて、名張市スキー協会(SMN)のスタッフの一員として参加してきた。
今回の自分の担当は、ポールトレーニングのスタート係とJrバッジテストの計測係だった。
さて、子供たちにスキーの楽しさを伝えつつ、夢探しのガイドとなることはできただろうか。
初級~競技選手まで、様々な子供たちと触れ合う中で耳にした心に残る迷台詞の数々・・・
独り占めするのは惜しいので、この場を借りてその天然ぶりを許可なく紹介したいと思う。
【ジュニアチームとコーチHの凸凹会話集 ~ポールバーン編~】
①り♀「コ~チ」 H「何や?」 り「寒い!」 H「・・・・・(嘆息)」
②と♂「コーチちょっと相談があるのですが」 H「どうした?」 と「さっき強めのメロンソーダを
買ってきたんですけど」 H「えっ?」 と「ポケットに入れたまま滑っても大丈夫でしょうか」
H「・・・雪に埋めて冷やしとけや」 と「後で見つけられるかなあ。。。」 H「・・・・・(溜息)」
③H「あの男の子らはずっとクローチングで気合入ってるやろ」 ゆ♀「せやけどボーゲンで
クローチングしてもあんまり意味ないんちゃう」 H「・・・・・(苦笑)」
④ジ♂♀「コーチ」 H「ん?」 ジ「トイレ」「喉渇いた」「疲れた」 H「よしっ休憩したい者は下の
レストハウスへ行ってまた戻って来いよ」 (そして誰も居なくなった) H「・・・・・(^_^;)」
⑤ガ♀♀「コーチ・・・私らリフトで帰りたい」 H「何でや?」 ガ「昨日この坂で15回以上こけたもん」
H「大丈夫や昨日より上手くなってるから」 ガ「・・・」 H「やっぱり無理?止めとくか?」 ガ「行く」
(無事に下まで降りてきて) H「よう頑張って滑ったな」 ガ「コーチ私ら1回もこけへんかったで!」
⑥H「バッジテスト2級合格の自信ある奴は?」ボ♂♂「はーい」 H「お前ら全員かよ・・・発表ある
まで安心できへんぞ」 ボ「***の声が大きかったから全部タイム聞こえてたもん」 H「・・・・・」