◎明けましておめでとうございます!!
今年は、学園山手治療院の仕事納めが12月29日、初仕事が1月9日からと
長い冬休みになった。 【画像1:新春の門】
18年ぶりに越年スキーがなくなったので、大晦日~元旦を自宅で過ごした。
それでも、何故か大掃除と年賀状は例年程度にしかできなかった(反省)。
夜は女房の実家で、K1ダイナマイトを録画して多数決により久しぶりの紅白
歌合戦を見た。寒すぎず月星のある日本人的な良い年越しであったと思う。
1月2~4日は、盆正恒例となっている奈良の悪友らと同窓会的集会を行なった。
パチンコ&スロットは、等価交換のホールで打ったが正月営業はやはり厳しい。
ワーナーマイカルシネマで「硫黄島からの手紙」を観た。クリント・イーストウッドの
作品ということで興味深かったが、邦画の大戦物のように浪花節的な感涙はなし。
ただ、ロス五輪の馬術で優勝した西竹一中佐が、戦時下で外国人にも尊敬の念を
抱かれていたことで、現代のスポーツマンシップやフェアプレーを超えたもの・・・
心技体の調和と礼節を重んじた日本代表バロン西の霊格の高さに誇りを感じる。
1月5~8日(祝)は、「第30回名張市スキー教室」で飛騨流葉SAに向かった。
雪不足が一転して降り続いたため、視界不良の不整地をガイドなしの一人では、
まともに滑ることができない不本意な3日間となった。 【画像2:平安の窓】
初日は、飛騨高山SAまで「三重県障害者スキーキャンプ」の現地視察に行ってきた。
そして、運良く新たな宿舎として国立乗鞍青少年交流の家を予約することができた!
ここは、研修施設なのでバリアフリーの部屋があり宿泊代は無料という好条件である。
2日目は、30回記念チャレンジタイムレースと第1回SMN技術選手権が行われたが、
自分は選手を辞めたので色気を見せず、計測とスターターの担当スタッフを務めた。
最終日は、意外な労力に関節痛を感じつつも、Jrバッジテストの計測係を務めた。
娘MとMSAD事務局長Kは、2級と1級に挑戦したが今回も惜敗という結果だった。