†新聞少年に想う

小学生の頃から、何度も新聞配達のアルバイトをした。
当時の子供達は、朝刊配達などで小遣いを稼ぐのが普通だった。
この仕事は最初に配達場所と種類さえ覚えれば誰にでもできるが、
真冬の夜明け前の厳しさはやったものでないと解らないだろう。
因みに、新聞配達の三大タブーは誤配・遅配・無配である。
 
大学時代は、生活費を稼ぐために奨学生として住み込みで働いていた
ことがある。早朝4時前から折込をして200部以上の配達をしてから、
京都市内にある大学まで1時間半かけて毎日通っていた。
講義を受講するというよりは、クラブ活動(應援團)に明け暮れていた感じで、
朝の掃除・昼の集合・夕方の練習・夜の幹部の世話などが終わって、帰宅
するのは23時ごろになり、4時間睡眠でヘロヘロの日々が続いた。
体力と根性に自信はあったが、先輩から気合を入れられるときでさえ
強烈な睡魔に襲われるようになり、さすがにヤバイので二回生からは
大学の近所に下宿を借りて、夜の仕事(夜警員)に転職したのだが。
 
これは30年近く前の話なので、まだバイクに乗れるだけの視力があり
スーパーカブに乗って配達をしていた。早暁の国道は交通量が少ない
代わりに、スピードを出す大型車両が多いため注意が必要である。
自分も配達中に3回ほど車と接触したが、武道をやっていたお陰か運良く
大怪我を免れていた。しかし、バイクのハンドルがダンプカーの荷台に
挟まって何百メートルか引きずられたときは、本気で死を覚悟した。
咄嗟の判断で、荷台から反動を付けてスロットルを外した途端に、何mも
吹っ飛ばされて地面に激突し、新聞紙が道路全体に散らばった。
ダンプカーはナンバーを見る間もなく、何事もなかったかのように走り去った。
強い痛みはあったが、幸い大した怪我をしていなかったようなので、すぐに
新聞店に電話をしようとしたが、生憎その日は財布を持っていなかった。
その時、偶然通りがかった他店の配達員に10円貸してくれないかと頼むと、
「兄ちゃんはライバル紙やけど大変そうなので今日は特別に貸したるわ」・・・
拡張競争が激しい新興住宅地の、心も体も冷えた夜明け前の出来事だった。
 
『新聞少年』 山田太郎
作詩:八反ふじお 作曲:島津伸男
 
僕のアダナを 知ってるかい
朝刊太郎と 云うんだぜ
新聞くばって もう三月
雨や嵐にゃ 慣れたけど
やっぱり夜明けは 眠たいなア
 
今朝も出がけに 母さんが
苦労をかけると 泣いたっけ
病気でやつれた 横顔を
思い出すたび この胸に
小ちゃな闘志を 燃やすんだ
 
たとえ父さん いなくても
ひがみはしないさ 負けないさ
新聞配達 つらいけど
きっといつかは この腕で
つかんでみせるよ でかい夢
 
新聞少年Hくんの苦痛と無念を想うと・・・今の私にはご冥福をお祈り
することしかできませんが、朝刊を見る度に黙想したいと思います。
 
【6km引きずり? 16歳配達員死亡】
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=668799&media_id=2

ミスターH について

3人兄弟の長男です。学生時代(中学~大學)は全て應援團に所属していたという硬派バンカラおやじ・・・押忍! 東洋伝統医療による地域住民の健康支援を目指して20数年の生涯修行者です。(ハンドパワー&ハートパワーのある鍼灸マッサージ師) 2008年に障害者スポーツの競技者を引退し、現在はブラインドスキーとグランドソフトボールの指導者の道を目指しています。(元パラリンピック日本代表) 【ミスターH的キーワード】君との共通点を探してみよう♪ 大阪生まれ 奈良育ち 三重県民 三人兄弟 長男 AB型 丑年 蟹座 三碧木星 視覚障害者 ピアノマン RockBand 武道 應援團 県立盲学校 鍼灸マッサージ師 気功 自営業 障害者スポーツ グランドソフトボール 背番号3 アルペンスキー パラリンピック 近畿青年洋上大学 JAPAN 大和魂 硬派 バンカラ 勝負師 サディスト 熟女マニア オカ%
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